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拗々

ラクに楽しく、満足しながら生きたいと思っている人の日記です。

こじらせ、ってなんなんですかね?

今夜は、雑記です。

北条かやさんの炎上は、はてなブックマークを楽しんでいる私の目にも入ってきました。
「リスクをとらない人」の文章はつまらないらしいからツイート貼っとく - あざなえるなわのごとし
「こじらせ女子」という言葉を、前出している定義にそっていないのに、先行文献の著者に断りもなく、自分こそが「こじらせ女子」の代表者かのように振る舞った。
どころか、はじめに提唱された定義における「こじらせ女子」に共感していた人たちを傷つけまくる形でマイ定義を振りかざし、ガンガンメディア露出してお金儲けして、はじめに定義した人(雨宮まみさん)に指摘されたら狂言自殺未遂した人、ってのが北条かやさんだと私は認識しています。雑ですみません。

こじらせ…か…
自分のことを、「こじらせている」と表現して最近ネットで発言を始めた私にとっては、ちょっと考えさられます。

意識してウォッチしていた訳ではないので、ぼんやりとした表現になりますが、はじめに「こじらせ」てるって言葉がでてきた時は、対象は女子に限らなかったよな、と記憶しています。自意識過剰、みたいな。無自覚に他人に責任をかぶせる的な。視野矮小な感じ?まあ、近年はクソ童貞とか、そういう言葉に落ち着いてるのではないでしょうか(これは男性への言葉だけど)。おそ松さんで言うと自意識ライジング的な。

私個人の意見としては、人それぞれの定義があると思ってます。
拗々、とブログタイトルを銘打ち、こじらせを、(言葉として)重ねている私としては、自分なりに定義をしてみたい。
今ふわっと、寝る前の、ちょっとほろ酔いのテキトーな感じで書きますけど、辞書通りの「こんがらがってる」ことが、こじらせだと思うんです。「なにか」が複雑化してる状態。
それは、自己評価と他者評価の乖離だったり、自己の評価軸を外部に依存していたり(他人の物差しで自分を測る、ってイメージです。人それぞれ長さは違えど目盛りは100%の物差しがあって、自分の物差しで測れば80点合格なのに、他人の長めの物差しをわざわざもってくるから自分ってダメだと思ったり。)

週末やゴールデンウイークを使って、ちょっと本を読んでインプットした上で、世間でいうこじらせと、私にとってのこじらせを、明文化してみたいなあ。

たぶん「こじらせ女子」の原点。一読済、精読中。


わたし、別に、女子をこじらせてるつもりはないんです。
でも、人としてこじれてるとは思うんです。性別が女だから、やっぱり女として自分ダメなのでは〜?と思う頻度は高いのですが。

私は既婚です。
いまアラサーで、結婚三年目です。これで、私こじらせ女子なんだよね〜、とか言ったら反感買われる場合も想定されます。

でも事実として、わたしは、生きづらい。
人生に対して希望が持てない。日々を無意味に過ごし、ただ、産まれた以上は、生きている。そんな感じがしています。正直なところ、親より長生きする、なるべく親には心配かけない、出来たら自慢の娘でいたい、そんなことしか生きるモチベーションがありません。(産まれた家庭が円満だったのは本当に幸せだったな、と思っています)

このブログ、こじれを解消したくてはじめました。
今後、あらためて「こじれ」の定義からはじめますけど、いま切実に抱えている危機意識として、わたし、このままでは母親になれないと思うんです。
人生楽しい、せめて、世界はそんなに悪くないよ、とそう思えるようにならないと、少なからず自分が影響を与えてしまう人間を、自分の意思で世に出すことなんて、恐れ多くてできません。

いままで断捨離とか水耕栽培とか目指せ丁寧な暮らしとかそんな記事を書いてきましたけど、形から入って楽しそうな人生に近づきたいというモチベーションなんです。


本当は、もっと推敲して、伝わりやすい記事にしたかった。こじらせに言及した本だって、読了してから書けばいいとわかってます。

でも、今のままで、文章力もクソなままで、書いておきます。

こじらせ、ってなんなんですかね?
私は(あなたは)どうなりたいんでしょうかね。
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